4/15

 朝。ちょっと悲しいことがある。自業自得だから仕方がないのだけど。はぁ。

 1限。体育。体力トレーニング。今回は理学部優先のクラスではなかったので、いけるかと思ったのだが、運悪く抽選漏れ。仕方ない。
 2限。体育リベンジ。バレーボール。なんとか取れる。1年生に「俺って東大合格者数全国5位*1の高校出てるんだぜ〜」って自慢してる1年生1年生したやつがいて、「俺の高校は4位だぞ」って言ってやろうかと思ったけど我慢した。

 ロクなことが続かないので気分転換しようとカラオケへ。ヒトカラだと思い切り叫べて気持ちがいい。だけど叫びすぎたのか、1時間でのどがからからになってしまった。

 3限。英語R。社会学の本を読むということで、いいかげん社会学音痴をなおそうと思って出席してみたのだが、なんか完全に英語の授業って感じだった。先生は「気に入らないなら別のクラスに行っていいよ」って言ってたけど、最終日だし、まあ取るかなぁ。
 4限。哲学講義。ニーチェ。先生が「ひとつの真実にこだわらない*2のが哲学」「ニーチェの『真実などない。すべては許されている』という言葉はまさに哲学だ」みたいなことを言っていて大変憤慨した。それはニーチェ哲学の定義であって哲学の定義ではないだろう*3。答えがない学問なんてやる意味がないじゃないか。何も生まないんだから。
 5限。哲学史。今度は「(科学が自然や社会についての客観的な知識を探求するのに対して)哲学は主観的な反省を行う」学問であって*4、哲学に「進歩はありえ*5」ず、したがって*6哲学史を学ぶ必要があるなどと説明される。進歩がありえない学問なんて、研究する価値があるのだろうか。彼の考えを受け入れるならば、哲学史以前に哲学を学ぶ意味自体が疑われるように思う。

 イライラしているとすべてが敵に見えるね。明日はいい一日でありますように。

*1:彼が渋渋出身なのか渋幕出身なのかはっきりしないけど、ちょっと検索してみた限りではどちらにせよ5位よりは低いような気がするのだけど彼は何をもってそんなことを言っていたのだろう。まあこのサイトはあまり信用できないけども、俺が高校生だった頃も概ね似たような傾向だった気がする。http://www2.ttcn.ne.jp/honkawa/3858.html

*2:「命題を自明視しない」とかならまだわかるんだけど。

*3:「言語分析をしていることが哲学の定義だ」といつも主張している俺が言えたことではないかもしれない。

*4:じゃあ倫理学や社会哲学はどうなるのだろう、と考えていたら、倫理学は「個人が社会とつきあうやり方を考える」学問であるのだという。個人のライフスタイルは個人が勝手に考えて答えを出せばいい問題であって、(テキスト研究のなかで間接的に問題になる以外には)学術研究の対象にはなりえないと個人的には思うけども、仮にこれが倫理学の一部であるとしたところで、全体ではありえないと思う。分配的正義の問題であるとか、それを含んだ法哲学・政治哲学の諸問題は、個人の社会とのかかわりかたを探究しているというよりは、もっとメタな視点から社会全体のありかたを論じている分野だろう。応用倫理学の他の分野もどちらかといえば同種の問題意識によって研究されているように思う。

*5:「直線的な進歩は」ならわかるが、学術研究において直線的な進歩がありえないのは哲学に限った話ではないと思う。

*6:なにが「したがって」なのだろう。