レートー・タトさんへのコメント
私はまふゆさんが仰っている文意を汲んでいますし、何が仰りたいかの文意を他のツイートも併せて汲むのはいいのですが、最初のツイートはまふゆさんが「十分なケースを確保していないかもしれないが形式としては帰納的推論」として提示なさっている文としては断定的に過ぎる気がいたします、というだけのことです。
→「○○なんだなと思った」という表現がそこまで断定的なものであるとは思いません。
要するに経験談ですよね?
→はい。「昨日の読書会で〜」という話が経験談以外のものであることを意図されているという発想が私には理解しかねるのですが。
既にそのように補足されていますが、でも最初のそれだけでは実際の所、経験談にしてはほぼ断定的な書き方ですよね?
→すでに述べたように、「○○なんだなと思った」という表現がそこまで断定的なものであるとは思いません。
それが反発的な弾が飛んできている要因になっていると見受けられたので、
→→もし「昨日〜ということがあって、○○なんだなと思った」という表現が経験談を超えた断定的主張を表すものであると解釈され、反発されているのだとしたら、それは私の表現ではなく読者の国語力に要因があると思います。
「理系であるなしか」「普通であるかないか」(これら両者の関係づけの根拠がよくわかりませんが)
→社会契約説への理解の有無、という文脈で、「普通である」とは、「社会契約説をはじめとした近代政治思想について高等教育を受けたり、自分で勉強したことがない」ことを意味します。したがって、(文系の教育を受けていない、読書会に参加していたその)理系の人は、普通の人であるということになります。
「理系であるなしか」「普通であるかないか」(中略)、というのを経験談から断定的にあまり限定して語るのは好ましくない
→私は理系であるかなしか、普通であるかないか、について語っていません。その二つを文脈上自明なものとしたうえで、「普通の日本人」の考えについて語っただけです。
〜語るのは好ましくないカテゴライズなのではないかと危惧いたしました次第です。
→ここは何を言っているのかわかりません。「語るのはカテゴライズ」ってどういうことですか?
そしてその後のたとえに関してですが、そこでどうこの好ましくないカテゴライズの仕方が出ているか、というのを見取ったかといいますと、あなたは「京都の人が御徒町を知らないと言っているのを聞いて、普通の(東京圏以外の)人にとって御徒町はあまり有名でないのだなと思った」と、こういっちゃっているわけですが、このたとえ方は失礼ながらあまり適切なたとえ方は失礼ながら、あまり適切なたとえ方だとは思えません。
→ここは(何を言っているのかは)わかります。
このやっぱり先の「理系であるかないか」と「普通であるかないか」の関係づけの根拠があまり断定調に語るのにはよく解らない筋道であるのと同じです。
→訂正いただいたとおりに直してみましたが、何を言っているのかわかりません。推測もできません。ごめんなさい。
御徒町を知らない東京圏の人は普通ではないのか、ということを暗に含んでいるように読めてしまいます。
→そんな風には読めないと思います。このたとえのなかで、私は「普通の人」という言葉を「東京圏以外の人」という意味で使いました。このことは東京圏の人とそれ以外の人を対比する文脈から自明だと思いますし、ツイート内でも明示しました。この文脈では、東京圏の人は御徒町を知っていようがいまいが、「普通の人」(東京圏以外の人)ではありません。
「普通なら知っている」というのがあまりよくわからない断定です。
→私は、「普通の人」(東京圏以外の人)なら知らない可能性が高い(普通の人にとっては有名でない)ということを述べたはずです。また、このたとえの中で私は、「有名でないのだなと思った」は、有名でない(知らない人が多い)という表現を使い、さらに「○○なんだなと思った」という婉曲表現を使っており、まったく何も断定をしていないと思います。
こういう断定調が、先の方を晒した際に、同じ形で出てしまっているようにお見受けしたと申し上げたかったのです。
→繰り返しますが、私は何も断定していません。そして、このたとえは「先の方を晒した」ときに一番はじめにしたツイートだと思うのですが、「同じ形で出てしまっている」のはどのツイートでですか?