私はいかにして人生に絶望したか(1)

 今私に残っているもっとも古い記憶は、子どものころ住んでいた家で母とどこの幼稚園に入るべきか話していたときのものである。私は少し遠くにある幼稚園に入りたいと―送迎バスにアンパンマンの塗装がなされているからというだけの理由で―考えていたが、結局は母の思惑通り家の近くにある幼稚園に入ることとなった。幼稚園時代の記憶はほとんどないので、どちらの幼稚園に入っていても私の人生にたいした影響はなかっただろう。
 小学校に入ると、「好きな女の子」というものができた。小説や漫画の影響を受けてなんとなく言ってみていただけで、小学校低学年の子どもに恋愛感情が理解できていたわけがない、とずっと考えていたが、それは大人の思い込みにすぎないのかもしれない。とにかく、その当時の私は、少なくとも主観的には、大真面目にその女の子のことが好きだった。
 しかし、その子を好きになるのとほぼ同時に、彼女の好意が自分には向けられていないというこの上なくありふれた事実を私は理解することとなった。そのことは、世の中は愛される人間と愛されない人間に分かたれていて、自分は後者に属しているというやはりこの上なくありふれた事実を意味していた。あの子が好きだった少年は私よりも圧倒的に恰好がよく、運動も勉強もできて、明るく快活で、みんなから好かれていた。私もみんなと同じように彼のことが大好きだった。
 一方の私は、薄汚く、愚鈍で、どうしようもなく陰鬱であった。私がみんなと同じように私のことを嫌いにならずに済んだのは、私が鈍感であったからというよりは、彼が私に劣等感を抱かせないくらいまでにいいやつだったからだ。まあとにかく、彼はほんとうに恰好がよかった。今どうしているかまったく知らないけれど、きっとクズ哲学科生にだけはなっていないだろう。