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 午前中は、「セクシャルマイノリティ」を自称することについて議論。「セクシャルマイノリティ」というのは個々の具体的な「ホモセクシャル」とか「ノンセクシャル」みたいな性愛の総称であるわけだけども、それ自体には何ら具体性がなくて、「俺はセクシャルマイノリティだ!」とだけ叫んでいる人を見ても、その境遇に共感なりまがいなりの理解なりを示したりすることはできない。
 だから、セクマイに対する周囲の理解を深めて、マイノリティにも生きやすい社会を作りたいのだったら、「私はセクマイです!」とだけアピールするより「私は同性に対して恋愛感情を抱くことがあって……」とか「人に恋愛感情を懐くことはあってもあんまり性的な対象として意識することはないというか……」みたいなことをアピールするほうが合理的なんじゃないか。なんかbioやpostに「私はセクマイです!」とだけ書かれると、自分のことをマイノリティだと規定することが目的であるかのように見える。
 と、bioに「セクマイ」とだけ書いていた人に言ってみたら、「いや理解を求めることが目的じゃねーし」と返事がきた。なら仕方ない。けども、「シスヘテロ男性がどれだけ生きやすいことか!」みたいなpostをしているのを見ると、本当に君は社会変革を求めていないのか、それは「シスヘテロ男性以外もみんな生きやすくなるようにしよう!」と言いたいのでないのか、とつっこみたくなる。
 まあ、たぶん俺自身がすごく「周囲に理解されたい」人間だから、他人もそうだと推測したくなるんだろうな。このブログだって結局、√2さんがいうところの「リアルの埋め合わせ」みたいなものというか、病院さんとすみこさんという想定読者に対して俺の自意識を暴露して理解を求めるためのものにしかなっていないのでないか、とか。まあ、それでいいのかもしらんが。

 昼休みから部室に行く。病院さんからリアクト。「私は彼氏に何も言っていない」「私は友だちがほしいなどと思ったことはない」とのこと。かわいいなぁ。
 ひじーさんがくる。相変わらず絶好調。ヤマジュンさんが連れてきた公務員志望の女性*1にアドバイスをしていた。その後、ちゃっかり女の子と一緒に部室を出ていくヤマジュンさん。やるなぁ。30分くらいで帰って来たらしいけど。
 4限。よくわかんない。杉山先生が「フロイトの解説書とかで何を言っているのかまったくわからないのがあったら読まないほうがいいよ。書いてる人もわかってないから」という言葉だけが印象的だった。杉山先生が何言っているのかわからないのは杉山先生もわかってないからだと思おう。
 5限。クーン。説明がくどい。

 その後、部室へ。読書会の担当のえみゅうさんがいない。メールを確認してみると、「今起きました!」。怒るより先に心配になる。妹さんにメールしてみると、「もうダメかもしれません」とのこと。ああ……。
 sukoyakaが友だちと喧嘩した件について悩んでいる。俺は同性間の付き合いについてむちゃくちゃ淡泊な人間なので、ちょっとうらやましい。

 中国語の勉強しないと……。

*1:ヤマジュンさんのことを「◯◯(苗字)くん」と読んでいて、部室がどよめいた。「俺も苗字に「くん」づけで呼ばれたい」と騒いでいたら、病院さんに「じゃあ呼びますよ」と言われる。たぶん後輩にそう呼ばれるのを嫌がると思って言ったのだろうけど、俺は「くん」づけというか普通は呼び捨てにしあうであろうような関係になりたかった(というかまだなりたい)わけであって、それを嫌がるわけがないじゃないか。