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 朝起きて、昼前までダラダラと『統治二論』をめくる。もっと効率的に読書をすればいいのに。
 すみこさんに「昼休みには部室にいる」と言ってしまったので、12時半くらいに登校。シモティ大先生がいると会話に入りづらい。中村は中村でなぜか昼間からウイスキーを煽っていて、絡みにくいし。

 3限の後半、病院さんと2人になったので、金曜の件について文句を言う。俺のことをバカにしたって、俺の君への愛をバカにしないでくれ、みたいな。 
 そのあと、話題に困ってついこの日記のことを病院さんに話してしまう。きっと俺は病院さんに読んで欲しいんだろうなぁ、自分の自意識を。
 俺はまだ君と喋るのが楽しいよ。ちくしょう。

 そのあと、図書館に行ったら、すみこさんに邂逅。いいかげん会うたびに「部室に来い」っていうのしつこいかな。
 そして永井『ベンサム』を借りる。前に読もうと思って、途中で飽きてやめちゃったんだよな。この本がどうというより、イギリス思想叢書全12巻を一気読みしようなどという魂胆が問題だったと思う。

 5限。モロが途中入室して、前のほうで暴れていた。はた迷惑なやつだ。授業自体は、パラダイム理論についてやるはずが、言語哲学の話しかしていなかった。平常運転。

 そのあと読書会。まずは某彼氏さんの発表。179節、180節の解釈に関して(俺が)(一人で)紛糾。きっとみんな内心で「どうでもいい……」って思ってただろうなぁ。
 彼氏さん(どうでもいいけどこの呼称、色々誤解を生みそうだな)のレジュメでは以下のようにまとめてある

177−合法な戦争による征服者−誰に対しどのような権力を獲得するのか?
 Ⅰ.仲間に対する権力は獲得できない
 Ⅱ.征服者に不正な仕方で敵対した者に対する権力を獲得する@一七九
 Ⅲ.合法な戦争において打ち負かした者に対する完全に専制的な権力を獲得する@一八◯

 彼氏さんの解釈では、「征服者に不正な仕方で敵対した者」と「合法な戦争において打ち負かした者」は別の概念であるとされている。その上で、「Ⅱ」において与えられるとされている「権力」が何であるかは、明記されておらずわからないと報告されていた。
 しかし、この「Ⅱ」のまとめ方にはやや違和感がある。加藤訳を参照すると

一七九 第二に私が言いたいのは、征服者が権力を獲得するのは、彼に敵対して行使された不正な暴力を現に支援し、協力し、同意を与えた者に対してのみであるということである。なぜならば、人民は、統治者に対して、不正な戦争をしかけるような不正事を行ういかなる権力も与えていないので(というのは、彼らは自分でもそうした権力を持っていなかったからなのだが)、彼らは、不正な戦争において行われた暴力や不正義については、実際にそれをけしかけた程度以上には罪を課されるべきでないからである。……征服者は、征服した国の人民で、彼には何も危害を加えず、従って、生命への権利を喪失していない人々に対しては、危害をもたらしたり挑発したりすることなく、彼と友好的な関係で過ごしてきた人々に対するのと同様、いかなる権原をももたない。

 とある。まず、ロックがここで強調しているのは明らかに「征服者に不正な仕方で敵対した者に対する権力を獲得する」ということではなく「征服者に不正な仕方で敵対していない者に対する権力は獲得されない」ということであるから、某彼氏さんのまとめ方はやや不正確である。

 問題なのは、「征服者に不正な仕方で敵対した者」(A)と「合法な戦争において打ち負かした者」(B)というのは同じことを指しているのかいなかという点。俺は単純に「A=B」であって、Aにおいて与えられる権利(A')とBにおいて与えられる権利(B')も同じものを指していると思った。179は「A/Bでないと権力が与えられない」ということを言っていて、180は「A/Bだと権力が与えられる」ということを言っているのだと。

 (その場では気づかなかったのだけど)「A'=B'」であることは間違いない。179には、節全体のまとめとして、「征服者は、征服した国の人民で、彼には何も危害を加えず、従って、生命への権利を喪失していない人々(notA)に対しては……いかなる権原をももたない」と書かれている。つまり、「危害を加えた人(A)は、生命の権利を喪失する」のである。つまり、Aに対して征服者に与えられている権利(A')は、生殺与奪の権利である。
 対して180には、「征服者が、正当な戦争において打ち負かした者に対して獲得する権力は完全に専制的である。つまり、彼は、戦争状態に身を置くことによって生命への権利を放棄した人々(B)の生命に対して絶対的な権力を持つ」とあるので、Bに対して征服者に与えられている権利(B')も明らかに生殺与奪の権利である。よって、「A'=B'」である。
 また、179に、「征服者が権力を獲得するのは、彼に敵対して行使された不正な暴力を現に支援し、協力し、同意を与えた者(A)に対してのみである」とあるので、「Bに対して権力が獲得される」と書いてある以上、AはBと同じ概念であるか、もしくはBの上位概念でないといけない。
 AはBの上位概念であって、しかも「A'=B'」であるならば、わざわざAとBの概念を区別して記述する動機はロックにないように思う。単に「AでなければA'は与えられないが、AであればA'が与えられる」と書けばすむ話であって、そんな区別を導入することは議論を混乱させるだけだ。なので、「A=B」と解釈するのが自然であるように思う。

 これに対していくつか「A≠B」である、という異論が出た。

①Aは戦争協力者に対する規定であるが、Bは戦争参加者に対する規定でないか(某彼氏さん)
 「彼に敵対して行使された不正な暴力を現に支援し、協力し、同意を与えた者」(A)という記述において言われている「支援」(assisted)「協力」(concurred)というのは、戦争参加も含む概念であるとも読めるし、現に後で「危害を加え」ることがAの条件であると言い換えられているのだから、Aが戦争協力者のみを指すと考えるのは不合理である。また、180における「正当な戦争において打ち負かした者」という言葉も、直接戦争に参加した者だけでなく、戦争協力者をも含むものであるとも解釈できる。
 そもそも、ロックには戦争協力者と戦争参加者をわざわざ分けて記述する動機がない。

②Aは戦争遂行中の権利についての記述であるが、Bは戦争遂行後についての記述でないか(√2さん)
 179節の最後に「征服者は、征服した国の人民で、彼には何も危害を加えず、従って、生命への権利を喪失していない人々(A)に対しては……いかなる権原をももたない」とあるので、Aに対して問題にされているのは戦争遂行後の権利である。ドラさんいわく、「当時(ウェストファリア条約以降)の戦争は、長期化を防ぐための取り決めができたために短期であったので、時間経過は考慮しなくていいと思う」とのこと。
 そもそも、生殺与奪の権利を行使できるのは基本的には戦争後なのだから、戦争中における権利を分けて論じる意味はあまりないように思う。

③Aは不正な戦争をしてきた国に対する防衛戦争についての規定であるが、Bはお互いに合法的に戦争をしている場合についての記述でないか(√2さん)
 加藤先生の註には、

(2)ここでロックが言う合法的な戦争あるいは正当な戦争とは、後篇第七章に付した註でも指摘したように、戦争に関する当時のヨーロッパの国家と国家、王朝と王朝との間の伝統的な慣習、後の用語で言えば戦時国際法に適った戦争という意味であった。それに照らせば、領土を一方的に侵略すること、条約や同盟を無視して戦争をしかけること、降伏した敵を攻撃したり処刑したりすることは違法な、あるいは不正な戦争の構成要素であった。

 とあり、ロックにおける正当な戦争と不正な戦争とは国際法に基づいて区別されるものであるとされる。ドラさんの解説によれば、当時の国際法は、必ずしも「正当な戦争」の要件として戦争の相手国が不正であることを要求していなかったそうなので、「不正な暴力を現に支援し、協力し、同意を与えた者」(A)と「正当な戦争において打ち負かした者」(B)とは異なることになる。
 しかし、これは極めて問題含みな解釈である。先ほど示したように、AはBと同じ概念であるか、もしくはBの上位概念でなければロックの主張は論理矛盾をきたすはずだ。ところが、③の解釈に基づくと、「不正な暴力を現に支援し、協力し、同意を与えた者」(A)は「正当な戦争において打ち負かした者」(B)の下位概念ではありえても、上位概念ではありえない。
 これまでのことからは、以下の3つのどれかが帰結されるように思う。

α:ロックはアホである。
β:ドラさんの「当時の国際法は必ずしも『正当な戦争』の要件として戦争の相手国が不正であることを要求していなかった」という解説は間違っていて、要求していた。
γ:加藤先生の註は間違っていて、ロックの正戦論は国際法に依拠したものではなかった。

 とりあえず一週間調べて来週報告しようと思うが、一夏かけていいテーマだろうなぁ……。

 その後帰宅して、何気なく某氏にスカチャを飛ばしたらとてもショックな(とか俺が言っちゃいけないのかもしれないけど)話を聞いた。ああいう時に慰めの言葉でもかけられたらいいのだろうなぁと。
 二十歳になったって、こんなにガキだ。

完訳 統治二論 (岩波文庫)

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ベンサム (イギリス思想叢書)

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