10/17

 風邪気味で、一日引き篭っていた。

 「生きる意味」を問うのは主義に反する*1のだけど、それでも人生の目的は幸福であると思う。というよりも、「人生の目的であるもの」を、俺たちは「幸福」と呼んでいる*2 のだろう。「人生の目的は幸福である」という言及は「人生の目的は人生の目的であるところのものである」という言及と同じであって、それ自体何も主張していないけれども、そうであるがゆえに反論もしえないものである。

 閑話休題。俺にとっての「人生の目的であるところのもの」*3はどこにあるのか。
 どこにあるのかわかっていて、それが手に入る(見込みがある)時は、手に入れて幸せになればよい。どこにあるのかわからない時は、しばらく不幸せにならなくてはならないけれど、でもそのうちどこかで見つかるだろう。
 どこにあるのかわかっているように思われて、反省するごとにその確信が深まり、でもそれが手に入るという希望はどこにも見いだせない時は、どうしたらいいのだろうね。

*1:その問いは俺を幸福にしてくれないから。

*2:「人生の目的は幸福である」というテーゼを批判する人は、「幸福」を「快」と同義に捉えているのかもしれない。「人生の目的は快である」という主張は見かけほど失敗していないと思うけれど、それにしたって「幸福」を「快」だと考えるよりももっとましなやりかたがあると思う。

*3:もっとはっきり「選好」とか「功利」と言ってもいいのだけど