楽しいこと

・家でごはんを食べるのが苦痛になったのはいつからだろう。

・人生は絶望の過程なのだと思う。自信があったこと、嬉しかったこと、楽しかったこと、誇りだったこと、そういうものがどんどんどこかへ消えてゆく過程なのだと思う。

・小学生のころ、一度だけ(補欠だけど)リレーの選手に選ばれたことがあった。ずっと運動音痴だったから、すごく嬉しかった。中学に入ったときは、そこそこ有名な私立中学だったから、色んな人に褒められて誇らしかった。そこでは柔道部に入って、あんまり選手としては活躍できなかったけど、わいわい楽しくやった。高校生の頃、はじめて彼女ができたときは有頂天だった。こんなに幸せなことがあるのかと思った。

・小学生の頃一時的に足が速かったのは、ただ人より成長期が来るのが早かっただけだった。中高時代は運動部にいたからマシだったけど、運動不足の今では5分も走ったら息があがってしまう。公立小学校のなかでは相対的にできる子どもでも、できる子が集まった学校に入ればドベ、なんてのはよくあることだ。褒められていたのは一学期の中間試験までで、それ以降は赤点を取って叱られているばかりだった。柔道部は3年半やったけれど、あと1年で引退というところでやめてしまった。くだらない喧嘩だった。なぜか喧嘩した当人とはいまでも親交があって、それ以外のやつらとは未だに口もきかない。はじめてできた彼女には3ヶ月で振られた。「飽きた」と言っていた。自暴自棄になって、色々損をしてしまった。その後も少しは女の子と付き合ったりしたけど、みんなあまりうまくいかなかった。

・いま、俺には何か楽しいことがあるだろうか。授業は苦痛だ。レポートを書いたり試験を受けたりするのは面倒だし、第一あの教室の雰囲気が苦手なのだ。バイトだってやっぱりつらい。お金が入れば楽しいだろうれど、でもそれを使って楽しめる趣味もない。どうせ食費や少ない交友費に消えるだけだ。読書会は唯一楽しいかもしれない。人と議論したり、人に何かを説明したりするのが好きなのだと思う。人にやらされるのは嫌だけど、自分たちでやるなら語学だってそこそこ好きになれるのだ。でも、楽しいのはそれだけ。

・毎朝のように、両親は就職を勧めてくる。俺は授業が嫌いだし、成績も悪い。単位は落としてばかりだ。なぜ俺が大学に居続けたいのか、両親からすればよくわからないだろう。俺にもよくわからない。でも、大学の隅でやっている小さな読書会のためにレジュメを作っていくことが、俺にとっての唯一の救いなのだ。

・どこで選択を誤ったのだろう、とよく考える。俺には運動神経も冴え渡る頭脳もなく、コミュニケーション能力も男性としての魅力もない。そのくせ、人と違った快楽を得ることができるほどの独自性もない。たぶんこうなるしかなかったのだと思う。